プラスチックや鉄等の人工的に創った素材は出来たときが綺麗、今の言葉でいえばおしゃれであるが時間、年代がたつにしたがい醜くくなってどうしょうもなくなります。私は見た目のからのデザインは主にシャープさとまろやかさの2つに大別差されるように思います。シャープさというのは繊細、最新、危険、禁断、緊張、先取りといつたもの、まろやかさはあたたかさ、伝統、おちっいた、安定、頬づりしたいといったような感じのようなものと思います。住宅は人がたえず接するものです。こういうものは小さいものであれ大きいものであれデザイン的に見るとまろやかなものが合うと思います。最近住宅でも木造が見直されてきたというのは会社でもシャープなものに身の回りをつつまれ、家でもシャープなものに取りか囲まれていては大変ということに なんとなく木(気)がつき始めたのでしょう。
年代を経ると風格が増し、粘り強くて狂いが少なく、腐りにくいことまで見きわめてこの木を選んだとしたらその先人たちの知恵には深い敬意が払われてよいでしょう。このことからも、建立以来千年余年を経て、今なお生き続けているヒノキの強さをうかがい知ることができます。法隆寺の修理に生涯をかけた宮大工の西岡常一氏は、次のように言っています。「金堂と五重の塔を解体したときのことです。軒を支えるヒノキ材が、屋根の重みでかなり曲がって垂れ下がっていました。ところが、瓦ゃ屋根土を降ろしたら、二、三日のうちに曲がりが戻って元の姿になりました。これを見て、木は生きているのだ、としみじみ思いました。」荷重を取り除けばひずみが減るというのは木に限りませんが千年もの荷重に耐えてなお元に戻るというのは、木の中でもヒノキをおいてはほかにないでしょう。千年もかかって育った後、さらに千年以上も用材として生き続けること木はそのなかでもヒノキは古くなればなるほどおしゃれになります。 |
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